フエ市街

フエはベトナムの中部にあり、その市街はフオン川を挟んで旧市街と新市街に分けられます。19世紀から20世紀の阮朝の首都とされています。これらの歴史的な建造物がユネスコの世界遺産になり、現在多くのツアーが組まれています。15

タチレク

タイとミャンマーの国境がサーイ川になっています。タチレクはタイのメーサイの向かいにあるミャンマーの都市です。ここからミャンマーに入国するためにはミャンマーのビザは必要ありませんので、多くのタイ人と外国人が訪れます。黄金の

ダナン

16世紀には広南国の外港で南蛮貿易が行なわれていたホイアンがあり、ダナン市は小さな漁村でした。その内陸に位置していたホイアンの港が18世紀に陸地となったために使用できなくなり、ダナンが中部最大の港になります。 1887年

台北市街

台北にはケタガラン族という原住民がいましたが、明朝の頃から中国から漢民族が移り住むようになります。その後、スペインが台北市郊外に要塞を作り、台北をその活動の拠点にしました。 1683年に清国が台湾を統治しますが、台湾を「

龍山寺・台北101 他

CCDカメラの夜景が自分でも珍しくて台北市街のオマケとして載せました。 正式には艋舺龍山寺(もうこうりゅうざんじ、マンカーロンシャンスー)と言うそうです。1738年に福建省泉州から移り住んだ人々が福建普江安海龍山寺の 分

香港

中国とイギリスが戦ったアヘン戦争の後の1842年に香港島はイギリスの植民地になり、1880年に九龍半島が割譲され、1898年にはその後方にあった新界がイギリスの統治下となります。ですから香港は、香港島と九龍半島、新界から

ヴィクトリア港・他

ヴィクトリア港は、イギリスのヴィクトリア女王(1837年 – 1901年)にちなんで1843年に名付けられたようです。マカオと香港の大きな違いはマカオが浅瀬で大型船が入港が難しかったために香港が貿易を牛耳ったと言われてい

クアラルンプール

1857年中国人の移民者たちのスズの採掘拠点がクララルンプールです。ジャメ・モスクがある川の合流地点を「泥(lumpur)が合流する場所(kuala)」と呼んでいたそうです。1873年頃からイギリスの支配下になり1896

ハートヤイ駅、他

ハートヤイ駅駅の塗装が現在は変わっているようです。1924年に開業。バンコク方面への長距離直通列車やマレー鉄道への直通列車など、1日28本の列車が発着しています。 ワット・ハート・ヤイ・ナイ ハートヤイで最も規模が大きい

ハートヤイ市街

マレーシアからマレー鉄道に乗ると最初に止まる駅がハートヤイ駅です。日本人はハジャイと呼ぶ方が多いようです。ハートヤイはタイ南部の中心的な都市ですが、タイでテーサバーンナコーンと呼ばれる特別な自治権を持っています。しかし県

KLセントラル駅、他

KLセントラル駅クアラルンプール国際空港と同様に日本の黒川紀章が設計したそうです。当駅のオープンに伴い、これまで交通の中心となっていたクアラルンプール駅はその役割を終わった様子。私は気が付かなかったのですが、よく見ると構

マーライオン、他

マーライオン「マー」はフランス語で「海」。海の街という名の都市がシンガポール近郊にかつてあったらしい。またライオンは11世紀のマレーシア王族が荒れ狂う海に王冠を投げると、ライオンが現れて王族が大地をおさめることを許し、海

シンガポール

住民は2世紀頃から定住が見られたが、1819年に港市国家のジョホール王国からイギリスの東インド会社にいたトーマス・ラッフルズがシンガポールを譲り受けました。以降、イギリスはここを拠点として1826年にマレーシアのペナン、

パッターニー

タイの南部は2世紀から14世紀までヒンドゥー教のランカスタ王国があり、13世紀にランカスタ王国がインドネシアのスマトラ島へ遷都したためにパッタニーにマレー人のイスラム王国であるパタニ王国が誕生しました。パタニ王国はタイの

メーサーイ

メーサーイはミャンマーのタチレクとを結ぶ国境の街でタイの最北端と言われています。また、タイの国道1号線の終着点です。国境線の川をサーイ川と呼び、それがこの街の名前になっています。街自体は小さいと言えるでしょう。常にタイの